About
旅先で見た”あの”思い出のシーンを
あなたの住まいに
日本の枠にとらわれない空間デザインを
提案する
雑誌に出てくるような空間を、
自身でコーディネートするのは難しいですよね。
あなたの心と生活が豊かになるよう、
理想の住まいをデザインいたします。
一般的に問題を解決する方法は…
インテリアの配置やインテリアメーカーの選び直し
物を減らし収納する
小物などのディスプレイなどによる演出
間接照明を取り入れる
などが挙げられます。
では、もっと確実に実現するために
私が提案する3つの解決策は…
モヤっとしたイメージを
一つに絞り込みます。
イメージ写真を共有して
深く掘り下げていきます。
イメージにあった
カラースキームを構築します。
バラバラに混在してしまったお部屋のカラーに
統一感を出します。
リビングから繋がったバルコニーや
ベランダもリビングの一部とします。
この空間を生かすかどうかで開放的な空間に
仕上がります。
About name
Carbon Minus Style
カーボンマイナススタイル
原点は環境問題に関心があり、そこからブランド名を考えました。
カーボンニュートラルやカーボンオフという言葉は、お聞きになったことがあると思います。
木などを再利用(薪やチップなど)した際、
木は大気中の二酸化炭素を吸っているので、燃やして二酸化炭素を放出しても問題ない、プラマイゼロという考え方です。
だからと言って燃やしてもいいの?と思い、端材などを集めて燃やさない
木の(二酸化炭素を放出させない)再利用の仕方、インテリアを制作しています。
"カーボンプラスマイナスゼロではなく、カーボンマイナスが理想ですよね"
の意味を込めてブランド名に致しました。
Profile
インテリアデザイナー
ゼンペル ユウコ
Yuko Sempell
ファッションデザイナーとしてアパレル業界、デザイナーのキャリア 9 年。
フリーランス時代に自社ブランド maram ini 立ち上げ、新人デザイナー合同展参加。
取引先は百貨店、専門店など多数。
また人気を誇るファッション雑誌 装苑 SO-EN 掲載。
(この時代に今のキャリアとも共通するデザインの基礎を徹底的に経験する)
結婚を機にドイツへ移り、ファッションの仕事にピリオドを打つ。
長年の専業主婦の合間、京都芸術大学 空間演出デザイン科で学ぶ。
卒業制作 「環境に本当に優しいものとは」-炭素を放出しないインテリア-
同窓会賞、コース奨励賞受賞。
漆喰と端材を組み合わせたタイルやインテリアを発表しました。
古民家鑑定士1級、C A D スクールで 2D,3D を学び、インテリアスクールでインテリアの基礎を学ぶ。
2022年からフリーランスとして活動を始め、内装デザイン、パース、インテリアコーディネート、個人邸リフォームなど。
About
”幸せと苦しい”を行ったり来たり
幼い頃から今まで何不自由なく、恵まれた感情で育ちましたが一時期家族が不仲になり思春期は悲しい記憶の方が多く、他の家族が皆豊かで幸せな家族に映り苦しい日々を過ごしていました。
将来が不安になり、「私は一人なんだ。自分の将来は自分で切り拓かなきゃ。」と学生の頃から自立を強く意識するようになりました。
ファッションでスタートした青春と限界
学生の頃からファッショナブルな友人に囲まれていて、自然とファッションに興味を持つようになり、高校生の時からデザイナーを目指しました。
すぐに専門学校に進みたかったのですが、親の反対により短大の服飾科に進学、卒業。そして念願のファッション専門学校へ。無理よと言われていましたが、卒業時には、卒業準グランプリ、鳥居ユキ賞を受賞し、ファッション業界を目指して東京に移りました。
当時はひたすらデザイン画を描いていました。
デザイナーとしていただいた給料で初めてタイに旅行へ行ったときのことを今でも覚えています。
活気あふれ魅力的な文化に衝撃を受け、今まではヨーロッパにしか興味のなかった私の世界は一気に広がりました。
二社目の会社では生産をアジア諸国で依頼していたため、バリ、インド、中国など海外出張が多く、海外に気持ちが向くようになっていきました。
後半の約2年をフリーランスとして活動し、自身のブランドを発表。当時ヨウジヤマモトのプレスをされていた方が新人デザイナーの活躍の場がないと新人合同展を立ち上げそこで二度出展いたしました。
「私のなりたかった姿。」ととても生きがいを感じていましたが、一人で仕事をこなすことに対して徐々に限界を感じ、そして疲れ果ててきました。結婚を意識していたこと、そして仕事に力が尽きて活動停止し、結婚を機にドイツへ移りました。
1年半ほどドイツで生活した後、主人の仕事の関係でシンガポールへ引っ越ししました。私の好きなアジアへまた行けるとすごく喜んでいたことを今でも覚えています。
人生の折り返し地点、
苦悩からの建物との出会い
好きなアジアでは仕事のストレスから解放されましたが、仕事と同じぐらい大変な子育てが今でも続いています。
このまま専業主婦のつもりでいましたが、だんだん本当の自分ではないと物足りなさを感じ始めるようになりました。
2001年に駐在先のシンガポールで出会った建物に心を奪われて、
「この建物は何?ヨーロッパ?アジア?」
後に中国、
マレーの影響がミックスされた1900年前後から1940年に建築されたショップハウスと呼ばれるプラナカン様式の建物だということが分かりました。
それ以来ショップハウスのことが忘れられず主人を説得し2003年に念願のショップハウスに引っ越しいたしました。
玄関ドアの赤、
そして扉が木彫りでカラフルなタイルに曲線模様の欄間が今まで見たことのないバランスに圧倒されます。
玄関から入ったリビング。
窓にはカーテンやブラインドをつける文化はないので通行人からはお部屋の中は丸見えです。
リビングの奥にダイニング。
ほとんど使用しませんでした。
そしてその先に見えているのは外のダイニング、キッチンです。
若い!真っ黒。
このキッチンは外にあります。
そしてこの前にはダイニングテーブルを置いていました。
ダイニングでは外の空気に当たりながら料理を作ったり、ここで食事をして、子供と遊んだり、この空間が好きで1日中ここにいたような気がします。
私の開放的で外や内の境目のないようなオープンエアが好きなのはこの体験からだと思います。
ここに住んでいるとき、2回ほどドラマの撮影にも開放しました。
この空間で生活した経験は私の価値観として備わっているのだなと思います。
やっと好きなものに巡り会え、体感できた時間でした。
しかし、この好きを仕事にしようとは長い間考えていませんでした。
フリーへのきっかけ
そして、私の信念
何気なく見ていたT Vで古民家鑑定士という資格を紹介されていて、とても興味を持ち、ショップハウスと重なる部分があり資格を取るために日本へ。
そこから学びが加速し、2013年から大学、CAD,インテリアコーディネートとさまざまな学びを始めました。
ある日、同じ年代の知り合いが起業しているのを知り影響を受け、2022年9月からインテリアコーディネーターとして活動開始し始めました。
私の経験した開放的な空間や、あなたの旅先で見たあの思い出のシーンを住まいに、お手伝いをさせていただけたらと思います。
具体的には開放感を演出するにはどうすればいいか、間取りを考慮する必要があります。
例えば日本の家には不必要な廊下があったり、部屋を分けすぎたり、抜け感の演出がなかったり。
庭やバルコニーも生活の大事な部分と捉えていないことが多く、勿体無い空間になっています。
また、照明が必要以上に明るいこと、お部屋の壁が全面塩化ビニルクロスであったり、せっかくのフローリングがツヤツヤにコーティングされているなどが挙げられます。